ブルゴーニュのマスタード

ブルゴーニュのマスタード

衰退したブルゴーニュでの栽培

第二次世界大戦までブルゴーニュでは森や木炭用の木を伐採した跡地にマスタードシードを栽培していました。

森林に覆われたブルゴーニュでは木炭職人が多く存在し、木炭に含まれる炭酸カリウムがマスタードシードの生長を促進するため、木炭職人が木炭粉を撒いた土地にマスタードシードを栽培していました。

収穫時期になると商人が買い取りに来て、ディジョン地方のマスタード職人に売ってマスタードが作られていました。

栽培はブルゴーニュ全域のマスタード製造を賄うのに十分でしたが、工業化による木炭の需要の低下に伴いマスタードシードの収穫量が減少し、その結果他の地方に頼るようになり(マルヌ県、ソム県、セーヌエワーズ県、ロワレ県、アンドル県。そしてこれらの地方の栽培もブルゴーニュ同様次第に衰退、消滅しました)、最終的にはカナダ、アメリカなど収穫量が多い国からの輸入に頼るようになりました。

ブルゴーニュでの再栽培の推進

ファロも加盟している製造者と生産者によって設立されたブルゴーニュマスタード協会は数年前からブルゴーニュでのマスタードシード再栽培プログラムを推進しています。

フランスでは過去に数回マスタードシードの再栽培に失敗しましたが、2009年末のIGP(地理的表示保護:EUによる食料品の原産地名認定、保護の制度)の申請が承認された事に成功のすべてを賭けました。

良質の選択

ブルゴーニュマスタード協会はフランス全土、オランダ、アメリカ、日本など数多くの国で“ディジョンのマスタード”の名称で製造されているマスタードとディジョン産のマスタードを区別することを提案しています。

ブルゴーニュ産のマスタードシードとブルゴーニュ産のAOC(原産地統制名称)ワインから作られてこそ“ブルゴーニュのマスタード”はブルゴーニュ郷土の特産品になります。

消費者の皆様に生産地の保証をするだけではなく、ブルゴーニュ産のマスタード製造に携わるすべての人々の業績を称えるためにもEUによる食料品の原産地名認定・保護制度の申請は重要だと考えています。

明確な目標

ブルゴーニュマスタード協会はI・G・P(地理的表示保護:EUによる食料品の原産地名認定、保護制度)による以下の経済的、事業的な目標の達成を目指しています。

―消費者の皆様に特徴と生産地が保証された製品をお届けすること。

―“ブルゴーニュのマスタード”を他のフランスの工業製品や輸出用のマスタードにとって先駆的な製品にすること。

―ブルゴーニュでのマスタードシードの再栽培のプログラムのサポートをし続けること。

―ブルゴーニュ地方の農業経済組織を発展させること。

ディジョンのマスタード

マスタード製造の好条件

昔からブルゴーニュの人々、特にディジョンの人々は美食家として知られています。

ワインの産地であるブルゴーニュは次々と起業するマスタード職人に若いワインやワインビネガーを提供するのに適した土地でした。

緑深く石灰質の土地は、辛く刺激的な味のマスタードシードの栽培に適し、

マスタードシード栽培は少しずつ地方全土に広がり、長い間マスタードの原材料を賄う事が可能でした。

ブルゴーニュの特産品

1390年の勅令によりマスタードの製造方法が正式に制定され、マスタードはディジョンの特産品になりました。

1634年にディジョン市がビネガー職人とマスタード職人の同業組合を初めて登録し、道徳と衛生をモットーとしました。

18世紀にヴェルジュ(ブルゴーニュで収穫された未熟な葡萄汁)をマスタード製造に使用するようになるとより品質に磨きがかかり、ヴェルジュと混ぜられたマスタードシードを石臼で加熱を避けて挽くことによってできたディジョンのマスタードは瞬く間に世界中の名声を得ました。

現在ではルイ・パスツールの低温殺菌の開発のおかげでヴェルジュはワインビネガーかアルコールビネガーに代用され、安定した味と品質を提供できるようになりました。

時代を超えるマスタード

    古代 古代では既に中国人、ギリシャ人、ローマ人がマスタードシードから香り高いペーストを作っていました。

    ギリシャ人とローマ人はマスタードシードを薬として、その後すぐに料理に使用するようになりました。

    古代の人々は既にビネガーとマスタードシードを合わせて使用していて、驚くことにビネガーの成分が刺激性を抑制することを知っていたのです。
    中世 “マスタード”と“カラシナ”と言う言葉は同時に13世紀のフランスに登場します。マスタード職人またはマスタード商人を意味するmoutardier(ムターディエ)は1292年のパリの租税帳簿に初めて登録されました。

    1351年のフランス国王は市場を安定させるための勅令を発布し、マスタード商人も他の商人と同様に分銅を与えられ、販売価格などが細かく制定されました。

    輸入されたスパイスは大変高価で、貧しい人々は長い間マスタードを胡椒の代わりに使っていました。

    しかし晩餐会が多く開催された時代、特にルネッサンス時代にはマスタードは少しずつ高価な調味料として裕福な人々に重宝されるようになり、ルネッサンス時代のフランスを代表する作家のフランソワ・ラブレもその中のひとりでした。
    17世紀から 時が経つにすれ、マスタードは富と美食を象徴する調味料になりました。

    17世紀に初めて上質の香り高いマスタードが作り出され、その後18世紀から19世紀の始めまでマスタード職人は新しいマスタードを競って考案するようになりました。
    産業革命から今日まで 1850年代に産業革命が起き、それまで手作業だった工程(粉砕と裏ごし作業)が機械化されるようになりました。

    20世紀にはマスタード製法がより厳しく規制されるようになり、1937年の政令によって製造の条件とマスタードの名称が定義されました。(2000年7月に改定)

    今日では昔ながらの手作業によるマスタード製造は衰退しましたが、ファロ社を含むごく一部の製造者が今でも石臼を使い、マスタード本来の風味を生かしたマスタードを作り続けています。